インスタのポストの答え=ユスリカ
10月16日に弊社インスタグラムのポスト(左下)で謎解きを出した答えがこちら。ロッドを曲げていたマスの胃の内容物です。
ポストをまだご覧になっていない方のために状況を説明すると……。
季節は10月中旬、場所はスティルウオーター。天気は晴れ。おおむね北西の風で風速は1〜3mでした。マスは水面ちかくをゆっくり移動しながら捕食を続けていて(この日は終日多くのマスのライズを発見しました)、いずれもディンプルライズ的な静かなライズリングでした。好きな人にはたまらないひとときですね。
慎重に、入念に、”スティルウオーターのドライフライ・フィッシングに欠かせないいくつかのエッセンシャルな準備”(ガイド時に別途クリニック受講の方に詳しくご案内しています)を経てからドライフライをキャスト。動画は撮れませんでしたが、マスはフライを見つけると同時にためらいもなく捕食した感じでした。それにしても強いことといったら! ものすごいスピードでスプールを逆転させてくれました。
左上の写真はキャッチ直後の胃の内容物です。詳細の同定まではできませんが、写真でもわかるとおり、あのライズの主が捕食していたのはおもに双翅目、ユスリカの仲間ですね。ボディサイズにして7mmくらいでしょうか。ユスリカのほか、画面中央左側にはアワフキムシも見えますね。
秋といえば、カメムシ、テントウムシ、アワフキムシなどのイメージがあるかもしれませんが、今回の釣りは、時にユスリカを疑うことも必要というケーススタディでした。これもいわば「インターネット情報によるマスキング」ですね(笑。情報による思い込みでナチュラルが見えなくなっちゃうというか。ともあれ、川からスティルウオーターまで、エキサイティングなドライフライ・フィッシングがあります。秋のライズの釣りはポロシリフライズまで。
ドライフライ・フィッシング”おたく”
さて、ポロシリをあまりご存じない方のために申し添えておくと、弊社ガイドはもとはドライフライ・フィッシング”おたく”です。
90年代後半から2000年代初頭にかけての専門誌編集者時代は、米国アイダホ州にあるライズ・フィッシングのメッカ、ヘンリーズフォーク・リバーに取材に行き、今や日本でもよく知られているレネ・ハロップさんやマイク・ローソンさんらの釣りを取材・報道したり、モンタナのツイブリッジの町まで足を伸ばしてR.L.Winston社の社主でありロッドデザイナーである故・トム・モーガンさんの取材を行なうなど、アメリカンなドライフライの釣りのカオスにどっぷり浸かって20代から30代を過ごしました。
映画「リバー・ランズ・スルー・イット」公開後にワシントン州ベインブリッジにあるSAGE本社に行った時は、当時チーフ・ロッドデザイナーだったジェリー・シームさんに「オレを俳優と呼べ」なんて冗談言われたっけ。聞けば彼、同映画にちょい役で出演していたのでした(ロロという賭博場のシークエンス。シルクハットをかぶったワルの役)。
ドライフライの釣りは甘酸っぱい。20代の半ば、それまで勤めていた会社を辞め、モンタナのボーズマンの町外れ、ギャラティン川のそばにあった故スティーブ・コープランド(日本びいきだったフィッシングガイド)の自宅の庭にテントを張り、夏じゅうモンタナやアイダホの川を釣ったのは懐かしい思い出。当時はSimms社の茶色のネオプレーンウエーダーに(当時のSimmsはネオプレーン屋のイメージでした)Danner社のリバーグリッパー履いて、Patagonia社のメッシュベスト着てたっけ……。もっぱら愛用のロッドはScott社Gシリーズの8フィート、リールは当時まだイングランド製だったHardy”兄弟”社のフェザーウエイトでした。まだインターネットはなく、米国のリテーラーから釣り道具買う時はファクシミリ使ってた。
あ〜やば。昔話して思わず感傷的に脱線しまくっちゃった(笑。
ポロシリといえば、2025年現在は各種のスティルウオーターの釣りやニンフフィッシングなど現代的かつコンペティティブな釣りのイメージがあるかもしれませんが、過日の一部は上に書いたとおりです。
ドライフライの釣り、ライズの釣りは私のフライフィッシング歴では産湯そのもので、今も大好きな釣りです。川であれスティルウオーターであれ、ドライフライの釣りについてリクエストがあればなんでもお気軽にご相談ください。情報”10倍返し”(笑)で謹んでお答え申しあげます。
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